選択肢が多くなると、動けなくなるよね




こんばんわ。ななほしです。

星の王子さまを読んでいて、ぼんやり思っていたことをつらつら書いてみます。

物語の中で、こんなやりとりがあるんです。

星の王さま「人形で、子どもはずっと暇つぶしができるんだ。」

スイッチ・マン「子どもたちは幸福だな」

別に子どもの頃は良かったじゃないけれども、子ども時代って言うのは何でだったか分かりませんが楽しかったですよね。

もう、この動画に出てくる子どもとか、マシュマロがあれば幸せなんじゃ無いかなって思いました。

ちなみに、この動画はマシュマロテストっていう全然、違う分野からのテストの動画なので意味は無いです。

 

幼稚園や、保育園に入る前なんて親の愛を感じるだけで幸せなんだと思っていたんじゃないかなぁ。ボクも。覚えていないけれど。

小学校の頃になると、もう少し幸せを感じるための条件が複雑化していた気がします。

「テストやスポーツで、1位をとったぞ!」「友達とバカみたいに遊べたぞ!」とか、他の人と一緒に何かをする中で幸せを感じていた気がします。

成長して、コミュニティが複雑化していくと、幸せだなって感じる事柄が増えていって、

全部の分野で満たされていないと幸せだと感じれなくなっているんじゃないかなって思いました。

まさに、隣の芝は、いつも青い。

 

最近僕がよく思う事があります。

アレやこれや選択肢を考えてそれぞれの可能性を模索するよりも、

「俺はこれをやるんだ!」って1つに絞って生きている人の幸せそうなこと。たぶんあの人は幸福なんでしょうね。

井の中の蛙も、茹でカエルって危機感を煽っている人も居るけど、実はその蛙にとっては幸せなことなのかもしれないね。

 

さて、さて、僕ももうそろそろ社会人5年目になったこともあり色んな選択肢が目の前に転がっていて、あれやこれや考えを巡らせています。

良い意味で可能性の間引きをしていく必要があるのかな。もちろん、僕のポリシーで選ばなかった選択肢の先には未来が無い(=考えても意味が無い)のだけれども。

僕は、蛙にはなりたくないけれど。。

 

以上。

Alexas_Fotos / Pixabay




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